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時は1300年代後半、スマトラ島(南部)パレンバンの若き皇太子は「パラメスワラ」は故郷を追われ命からがら数人の家臣を引き連れトマセック(現在のシンガポール)経由でマレー半島の西海岸にある小さな港町にたどりついた。当時、インドネシアほぼ全域を支配していたマジャパヒト王国(1293〜1520頃)が、母国(シュリーヴィジャヤ王国)に攻め込み、この戦いに敗れた皇太子は新天地を求めていたのでR。

きれいな清流の流れる小川は故郷のスマトラ島にも通じる海峡に注ぎ込んでいる。水と陽に恵まれた港町を皇太子は「ココは天然の良港だな」とつぶやきしばらく逗留することに決めた。一行は大きな樹木を見つけそこに陣を張った。
犬を使って猟を楽しむ若きパラメスワラ皇太子(後の国王)。そのときプリンスは奇跡を見た詳しくは下記本文をどうぞ!
ある日、猟犬を使って狩りを楽しむパラメスワラ皇太子。取り巻きの家臣たちも追っ手から逃れる緊張感からも解放され、皇太子とともに狩猟を楽しんでいた。そのときジャングルの木陰から小さな「鹿」が顔をのぞかせた。すかさず皇太子は猟犬たちに「あの子鹿を追いつめろ!」と指図をおくった。訓練された猟犬はチームワークを崩さず、川べりに子鹿を追い込みジリジリと距離を詰めていった。「我が猟犬はお利口じゃのう〜」と皇太子も満足げにこの光景を眺めていた。

あとは、槍のひと突きで仕留められる!と追いつめたその瞬間、子鹿はその華奢な後ろ足を使って猟犬のボスに眉間に強力なキックを見舞った。「キャイン」という悲鳴と共に屈強な猟犬は清流に落とし込まれた。犬族は、ボスを頂点にして絶対服従のタテ社会を築いている。ボス犬が攻撃され、一撃で川に落とされたのを見た残りの猟犬たちは戦意喪失。一挙に形勢逆転させた子鹿は、ひるんだ猟犬のスキをついて身をひるがえしジャングルに身を隠した。

驚いたのは猟犬ばかりではなく、その狩りを見物していた皇太子も度肝を抜かれた。狩猟に失敗したのを悔やむのは凡人。非凡な能力を持つ皇太子は非力に見える小さな体で訓練された猟犬を蹴散らし森に消えていった子鹿を「ややぁ、敵ながら、あっぱれ!」と褒め称えたのでR。
追いつめられたカンチル君が見事な後ろ足キックで猟犬チームのボス犬をノックアウト!若き皇太子は「敵ながらあっぱれ!」と絶賛したそうです
非凡な才能に長けた皇太子は、この天然の良港に加え、超クールな子鹿に惚れ込み「素晴らしい街だ!朕はココに我が国を興す!」と取り巻きたちに宣言した。一部始終見ていた家臣たちもこの奇跡的な子鹿の舞を高く評価し皇太子に同意したのは言うまでもない。

さっそく皇太子は、この港町に暮らす先住民族たちを呼び集め「この街の名は?」と聞きただした。スマトラ島とマレー半島は海峡をはさんで隣どうしの関係なので言語は同じ系統のコトバ(現マレー語)を使っていたのでコミュニケーションに問題はなかったのだが・・・原住民たちは街に名前を付ける習慣を持ち合わせていたなかったのでR。

街には当然名前があるはずだと思いこんでいた皇太子は繰り返し「この街の名は?」と聞いた。あまりにもくどく繰り返される質問に、しびれを切らした原住民は『皇太子さまは、この樹木の名を聞いておられるんじゃなかろうか?』と勘違いをしてしまい「皇太子さま、この樹はマラッカと申します」と答えてしまった。

皇太子は「うん、そうかマラッカと申すのだな。こりゃ名前も勇ましい!」と勘違いを加速させ『マラッカ』を国名にして開祖を宣言した。「この国をマラッカと命名す!」時は1396年。この日を境に若きプリンセス「パラメスワラ」は、マラッカ王国の初代国王「パラメスワラ王」として後年、英知と情熱で小さな港町を活気あふれる東西交易の重要港「マラッカ」へ導くことになる。しかし、独立したての小国だったマラッカには数人しかいない家来と数十名の先住民族(ほとんどが漁師)しかいなかったそうでR。
マラッカの街の中心部スタダイス広場(時計台)の一角で観光客の旅の安全を祈るネズミ鹿こと「カンチル君」。かわいらしいその姿から想像もできない後ろ足キックを繰り出す果敢なファイターです。実物大なのでかなり小さいですよ。よく探してみてください
後日談であるが、国王はこの子鹿をカンチル(日本名では「ネズミ鹿」)と命名した。かわいいネズミ鹿「カンチル」は600年を越える時の流れにも負けずマラッカには深い関わりを保っている。1985年にマレーシア政府より「歴史の街マラッカ市」という市政交付を受けた際にも、我が町のマスコットと任命された。本物のカンチルの子孫たちは現在ひっそりとマラッカ動物園で飼育されているが、街の観光スポット「スタダイス広場」(通称:クロックタワー)の一角にその勇姿を見せてくれている。

そして、マラッカ王国の名前の由来に珍重された「マラッカ・ツリー」は、スタダイス広場の階段を上った円形駐車場の中央にその枝っぷりをひっそりと披露してくれている。知る人が見れば『あぁ、これがマラッカツリーなんだなぁ』と見上げることができるが、知らない人はそそくさとこの由緒あふれる「樹」の脇を通り抜け、おろかにも裏手の丘セントポール教会・聖堂史跡に先を急いでいるのでR。(^^)

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